ゆすはら応援隊が行く!!
ゆすはら応援隊が行く!!
梼原町では、中山間地域に住み続けることのできる地域づくりを目指し、集落活動センターを設置し活動を行っています。
その運営サポートや地域活動のサポートなどを行うのが『ゆすはら応援隊』です。
このページでは、地域の方と協力しながら、集落機能の維持や活性化のために日々奮闘しているゆすはら応援隊の様子や、 町内の様子などを、応援隊目線でお届けしていきます。
2013年06月28日
美しい清流が流れる梼原町は川魚の鮎やアメゴ、ウナギまで捕れる最高の場所です!
この地域ではウナギに限らず「獲れた物は家族だけでなく皆に振舞う」という風
習が昔からあるようで、
さっそく僕も呼んで頂きました。
さすが高知県!まさに高知家ですね!
西宮市ではなかなかお目にかかれない鮎やウナギがテーブルの上で山となっ
ております(°д°)
思わずほっぺが落ちそうに…(*´∀`*)
住民の方が山や川を大切にしているからこそ頂ける特別な自然の恵みに感謝。
2013年06月26日
生まれたての雉 生後9日以降の雉
今回は四万川区にあります、梼原町きじ生産組合へ行ってまいりました。
きじ生産組合は昭和60年に立ち上がり、梼原町の特産品の一つとして雉肉を販売
しています。
最初は3羽の雉を地域の方が趣味で飼い始めたのが始まりで、それが徐々に地域
内へと広がっていきました。
雉肉は鶏肉よりもカロリーが低くとても…ってこんなことを説明する場所じゃあ
りませんでしたね。
左の写真は、生まれたばかりの雉を出荷する際に撮った写真です。
生まれてすぐの雛は寒さに弱く、暖房器具で室内を約40度に保たないと死んでし
まいます。
生産者さんの中には、雛が来た当日は雛が心配で眠れないそうです。
右の写真は、生産者さんの雉舎(きじしゃ)内で撮りました。
雉の雛は生まれてから1週間もすると羽をはばたかせ、30cm位飛び上がることも
できるようになります。
これからちょっとずつ成長して、大きくなっていきます。
2013年06月11日
藩政時代より大正初期までこのあたり山道は越境の旅人の往来が多い場所であっ
たそうです。
この山道は細く、危険な個所がいくつもあり、旅人が迷いやすい場所もあったそうです。
そこで、当時太田戸地区の先覚者であった中越歌次郎さんが、旅人が道に迷わな
いようにと「標(しるべ)の石」を山道に置きました。
昭和に入り新たな道路が整備されたことにより、山越えの旅人もいなくなり「標の石」
もその役目を終えました。
こうした先人の思いを忍び、現在の横貝地域に復元され設置されています。
この「標の石」は、梼原人に脈々と受け継がれてきた客人信仰を今に伝えています。
~横貝地域にて~
2013年06月04日
今回は、竹の薮地域にある町内で最初に作られた三嶋神社へやってまいりました。 まず左の碑の紹介です。 今年で津野経高公がこの梼原町を拓いて1100年を迎えました。 この記念すべき1100年を記念して、梼原町では4月より「ゆすはら千百年物語り」と題しまして様々 なイベントが開催されています。 それに先立ち、3月末に左の碑が建てられました。 次に右の碑ですが、これは百年前に梼原町開拓1000年の記念碑として建てられたものです。 歴史の荒波にもまれつつもこの百年、梼原町を見守って下さった大切な碑です。 代々受け継がれてきた歴史を大切にするその心に経高公への敬愛の念を感じますね。 次の百年につながる大切な節目の年。 これからの梼原町のさらなる繁栄を、この2つの碑に見守っていただきましょう。
2013年05月31日
今回は坂本川地域にある、西ノ宮神社をご紹介します。
この神社は、もともと「宝皇大明神」という名前で呼ばれていましたが、明治元
年に西ノ宮神社と改められました。
この神社の事を初めて聞いたときは本当に驚きました。
私たち応援隊の出身地にも同じ名前の神社があります。
そこで、地域の人にこの神社の事を伺ってみて納得しました。
その昔、兵庫県西宮市の西宮神社より御神体を勧請し、祀られているのだそうで
す。
いまでは友好交流都市としてともに歩んできた両市町ですが、もしかしたら御神体を
勧請してきたとき時から、交流が始まっていたのかもしれませんね。