梼原町の紹介
梼原町の紹介
梼原町は町面積の91%を森林が占め、標高1455mにもなる雄大な四国カルストに抱かれた自然豊かな山間の小さな町です。四国カルスト高原は、全国的にも珍しい高位高原カルスト地形になっており、至る所に手付かずの自然が残り、晴れた日などには太平洋から瀬戸内海まで一望できます。
石灰岩特有の白い岩が目立つ夏の高原では、里から登ってきた牛たちが放牧されのどかに草を食んでいます。 冬場は一面雪に覆われますが、その景色さえ自然の醸し出す幻想的な美しさがあり、多くの人々を魅了しています。
国道439号、鷹取地区に自然保護林として保存されています。国有林88ヘクタールには、モミ、ツガを主とした樹齢数百年の立木と巻き込まれた切株が群生しています。昭和59年(1984)3000メートルの遊歩道を設け、これらの立木や切株に名称をつけ、八十八か所の霊木巡り場としています。
沿線の渓谷は、清流と岩、淵に恵まれ、魚族が多く育ち、漁場やキャンプ場として利用されています。
梼原町は、延喜13年(913年)津野経高公がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いて以来687年間津野氏の所領となり、地 域の政治、文化の中心地として発展してきました。慶長5年(1600年)山内氏の所領となり、梼原6ケ村東津野3ケ村をあわせて 「津野山郷」と称し、明治維新の変遷を経て明治22年(1889年)の、梼原、越知面(おちめん)、四万川(しまがわ)、初瀬、中平、松原の6ケ村を「西津野 村」と改称し、全国屈指の大村として発足しました。明治45年(1912年)村名を「梼原村」と改め、さらに昭和41年(1966年)町制 を施行して「梼原町」となり現在に至っています。
また、町内には日本の夜明けを信じ幕末を駆け抜けた勤皇六志士の墓地が残っており、その他にも坂本龍馬や東津野出身の吉村虎太郎たちが脱藩するために通った道が、昔の趣を残したまま維新の道・脱藩の道として存在しています。