三嶋神社に渡るためにかけられた屋根付き橋
ゆすはら座は、昭和23年に梼原町の町組によって北町に建設された建物で、平成7年9月に東町に移転復元したものです。
先人たちが森の傍らを借りて築いた水路にそってあります。豊かな森の恵みを受けて、水路の回りをふかふかな苔がむし、草花をはじめ幾種類もの命が育まれています。(延長=3.0km)
梼原町にゆかりのある六志士に、坂本龍馬、沢村惣之丞を併せた八人の銅像が建立されています。
吉村虎太郎をはじめとする庄屋跡地に、梼原町の志士掛橋和泉邸宅を移築しています。内部には姫隠しの間があります。
推定樹齢820年、樹高35m、周囲11m(地上2mで8.4m)、下方枝張片方16mの巨木。
愛媛県との県境、坂本龍馬が脱藩した峠です。
梼原町ゆかりの六人の志士の分霊が祀られています。
竜王様の名でよく知られ、町外からお参りに来る方が多い所です。
津野山舞台紹介(三嶋五社神社)
913年、京より津野経高が入国して以来、神楽をはじめとする信仰文化や、山間の農耕生活を支えるさまざまな用具などの生活文化が起こされ、津野山文化として今に伝えられています。
津野山舞台紹介(円明寺・宮野々廻り舞台)
梼原町は、高知、愛媛両県の5市町にまたがる日本の三大カルストといわれている広大なカルスト高原を有する地域にあります。
山里の暮らしが育んだ農業芸術。オーナー制度も実施しており、農家の指導や管理を受けながらおいしいお米の収穫などが楽しめます。
四国カルストの姫鶴平(めづるだいら)には600kwを発電できる風車が2基設置されています。
梼原川の中平から松原の間を流れる川は、川床岩盤で、八百とどろと呼ばれている。
梼原町、津野町を含むこの地域は、津野山郷と呼ばれています。境内には開祖津野経高を祀る津野神社や、朝鮮松(ハリモミ)等があります。
幕末の英雄坂本龍馬は、文久2年(1862)3月24日高知を出奔し25日に梼原に到着、その夜、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷(ちゃやだに)の松ヶ峠番所を抜けて予土県境・韮ヶ峠(にらがとうげ)を越えて伊予の国(愛媛)に脱藩しました。
予土の交通の要所して使用されてきました。坂本龍馬が脱藩した際にもこの近くを通ったと言われています。
別名「潜水橋」とも呼ばれるこの橋は、欄干がなく、川が増水した時に水中に沈み、川の流れを妨げないようになっています。
国の重要無形民俗文化財に指定されている津野山神楽は千年以上の歴史を持ち、リズミカルな囃子に合わせて舞われる荘厳さが人気です。
本町は、延喜13年(913年)津野経高公がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いて以来687年間津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展してきました。
町内各地に今も現存するお茶堂です。広さは2間(3.6m)に1間半(2.72m)くらいです。
梼原川の中平から松原の間は、川床岩盤で両側が切り立ち、急流が長く続いていて、八百とどろと呼ばれています。トサシモツケの群生地で、5月ごろには可憐な花が満開となります。