• 雲の上の町 ゆすはら ─高知県梼原町─

津野山神楽

津野山神楽

「津野山文化」の代表的な存在「津野山神楽」。その年の五穀豊穣に感謝する秋祭りとして、町内の随所で見ることができます。神楽の舞は18節で構成されており全ての舞を納めるには約8時間を要します。質素ながらも一千百余年の歴史を感じさせる荘厳さで、内容が簡単に理解できるのも魅力のひとつです。軽快な音楽とダイナミックな動きが見事に融合した舞は非常に楽しく、神楽が奉納される日には、県外からも多くの人が訪れます。

舞にはそれぞれ厳格な決まりがあります。「進左退右」「座左起右」といいますが、進む時・退く時・座る時・立つ時それぞれの作法を守らなければいけません。これは原理原則を外した動作では、神の心を慰めることはできないためで、神に奉納する神楽の厳しい一面です。

奉納日時
津野山神楽は、10月30日から11月23日まで町内各地で行われる秋祭りで奉納されます。
三嶋神社秋祭り
10月30日 川西路/役場より徒歩5分
11月3日 越知面(田野々)/役場より車で10分
11月23日 西区(竹の薮)/役場より車で10分
三嶋神社
津野山神楽が奉納される三嶋神社は、津野郷の開祖・津野経高が京より土佐梼原へ入国した延喜19年(919年)に、伊豆から三嶋大明神を勧請し祀ったのが始まり。その後、藤原純友の乱に伊予河野氏に協力して純友征伐に向かった際に、伊予三島大明神も勧請して同社に 祀ったと伝えられています。
拝殿には4本の丸柱が据えられ、内側が神楽の舞殿になっています。拝殿正面などには、竜や雲、瑞鳥などの彫刻が見事に施されております。

津野山神楽の歴史

延喜13年(913年)、津野経高が京より土佐梼原へ入国したことにより始まったとされています。それから一千百余年の時を越え代々の神 職によって舞い継がれてきました。しかし戦争による混乱や時代の流れの中で正当後継者が徐々に減少し、終戦を迎えた昭和20年には33代・掛橋富松翁一人のみとなっ てしまいました。千年続いた神楽を絶やさないようにと、町内で復興の気運が起こり、昭和23年に当時の町長を中心に津野山神楽保存会を結成。旧習を破り神職以外の村内各地から選ばれた青年十数名に伝承されることになりました。

その後は順調に後継者が養成され、現在では保存会設立当時の一期生から数えて七期生までが舞台を踏んでいます。また昭和49年には、梼原高等学校に「津野山神楽デイスカバークラブ」が設立されました。保存会会員による指導もあって、全国高等学校総合文化祭伝統芸能部門で最優秀賞を受賞。さらにクラブ活動は町内の小中学校にも広がり、将来の後継者育成に心強い存在とな ています。昭和55年には、土佐の神器の一つとして国の無形文化財にも指定された津野山神楽。これからも神楽を愛する人たちによって受け継がれていくことでしょう。

昭和23年(1948年)9月、正当後継者の減少により伝承が危ぶまれていた津野山神楽を後世に伝えるため設立された津野山神楽保存会。保存会長は歴代の首長で、現在では、第一期生から七期生まで、約30人の会員が活動しています。年代も60代以上の先生から20・30代の若手まで様々。舞の伝承は全て口伝で、先輩から後輩へ受け継がれています。秋祭りでの奉納の他に、各集落の神社をはじめ、町外の神社などへの出舞も行っています。練習は年間を通して毎週木曜日の午後7時半から10時。新しく会に参加すると、まず基本的な「幣舞」「手草」などの舞を覚え、面を付けた舞へとステップアップしてしきます。舞は奉納する順番 で「大蛮系」「山探し系」に分かれていますが、各系統の舞の大方が舞えるようになって初めて「舞太夫」の免許をいただけます。

保存会会員・樋口益也氏に聞く神楽の魅力